TOPへ 次の日は快晴だった。 スコットは森から出なかった。 というのはカーラ姉弟の方が森にやってきたからだ。 彼女は前と同じところに画架を立て、絵を描き始め、ウォルフは写真を撮りだした。スコットはゆっくりとカーラに歩み寄った。 母親と同じ薄茶の髪、顔の輪郭、物腰・・・・カーラは気配を感じて筆を止めた。 「あ、スコットさん？いらしてたんですか。」 スコットは無理に微笑を浮かべて絵の見える側へと回った。 「君の絵が気に入ったんだ。」 嘘だ！ と彼は心の中で叫んでいた。 カーラは嬉しそうに微笑むと“仕上がるまでもう少しですから”といって再び絵筆を持った。 スコットは草の上に座り、その姿を見ていた。 よく見ると画架には“ジョアナ”と名前が彫りこまれていた。大きく青い半透明の切なさが喉の奥に湧き上がった。 日は天高く上った。スコットの座ったところには、木の葉を通して光の束が幾筋も幾筋も降り注いでいた。 平和でうららかな、ずっと昔の思い出の中にあるような一日だった。 やがてカーラは筆を置いて“完成！”と言い、道具を片付けながらスコットを見た。 「本当は完成じゃないんですけど、私の腕じゃ今のところはこれ以上は望めないから。」 そしてウォルフを呼んだ。 スコットは画架に刻まれた名前を指した。 「君の名前、カーラじゃなかったんだね。」 カーラはけらけらと笑った。 「ええ、初対面の人に本名を教えるのはちょっと怖かったし、皆がカーラって呼ぶから・・・」 「姉さんがね、何かと言っちゃ、“あの色（カラー）は”とか“カラーリングについては”とかばっかりいってるからさ。流石にカラーって呼ぶのは変だから、カーラってなったんだ。」 草の種を服のあちこちにくっつけたウォルフがいつの間にか現れて言った。 三人は共に昼食をとった。 ジョアナ曰く “今日は一杯食べられそうだったから。” ウォルフ曰く “姉さんはまたスコットさんに会えそうな気がすると思ってたから。” ・・・とにかくサンドウィッチは山ほどあったので、３人は満腹になるまで食べた。 そのあと、とりとめのないお喋りがはじまった。ウォルフは姉思いの優しい少年で、スコットに人懐こく話しかけた。 そしてさっと野うさぎが目の前を横切ったのを見て、失礼しますと森の中へ入って行った。 「あの子も普通の人生は歩かないみたい。写真家になりたいんですって。・・・・あの子、州のコンテストで一位になったこともあるの。・・・・私は絵が好きなだけなんだけど。・・・・父には強がり言っても、やっぱり画家を目指すのは無謀なのかも。」 スコットは完成した絵を見た。 「少なくとも僕はこの絵が好きだよ。」 それから慌てたように付け足した。 「でも、絵だけが人生じゃないのは確かだろうけど。」 ジョアナは腕を組んだ。 「ええ・・・・命がけでやってみて、ダメだったらそれはそのとき。あ、でも良かった。一人でも私の絵を好きになってくれる人が居たんですもの！」 スコットは彼女の言葉を聞きたくなかった。 （ああ、かあさん。かあさんは画家にはなれないんだよ。かあさんは明日、色はもちろん一切の光を失うんだ。暗闇に投げ込まれるんだ。そんなふうに目を輝かせてこれからのことを話さないで！） 「描きたい絵があるの。・・・大きな、とても大きなキャンバスに・・・・青い海が広がっていて、右から幽かな日の光が来ていて、青・・・海の青の色を変えていくの。そして、その中を一艘の船・・・クルーザーなんかじゃない本物の木でできた船が光の方に進んでいくの。」 幸福そうな光を目にたたえ、ジョアナはまっすぐ立っていた。 あのキラキラ輝く瞳はそう長く続かない。 彼はそれが光を失う瞬間を確かめなくてはならない。あまつさへ、その場に誘導しなければならない。 彼はやっとのことで声を絞り出した。 「ジョアナ。君、明日何か予定がある？」 「明日？・・・・おそらくは家にいます。ここのところ出歩きっぱなしでしたから。」 「・・・・暇ならば、一緒に散歩でもしようと思って。・・・・町の外周の川の土手にでも。あそこ、綺麗な花が咲いていたよ。」 ジョアナは誘って貰ったことに感激したらしく顔をくしゃくしゃにして笑った。 「ええ、近くに道路が通っていますけど、あそこも緑がきれいなんですよ！何時ごろに？」 「10時ごろ・・・・ウォルフも一緒がいいな。」 「え？」 「あ、いや、さっき約束したんだ。」 ジョアナは少し残念そうだったが、頷いた。 「１０時ですね！必ず行きます！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ スコットはマシンに戻り、二人が事故に遭う場所を局に確認し、ありとあらゆる可能性を考えて明日の行動を検討した。 ジョアナが来なかったら？ ウォルフがジョアナと離れた場所にいたら？ タイミングが狂い、ウォルフが絶命するに到らなかったら？・・・そのときは僕が手を下すのだろうか。そうだ、それがパトロール員としての義務だ。 だが、それは言い訳ではないのか。 そうだ、殺人だ。改変防止に名を借りた殺人だ。 何を言う？スコット、これは運命なのだ。ジョアナは光を失い、ウォルフは死ぬ。それが二人に与えられた運命なのだ。決まっていたことなのだ。お前は神が決めた事の実行を手助けするだけなのだ!! スコットは少し吐いた。 それは、己がこれからやらねばならぬ事に対する吐き気であると共に、それを使命だと誤魔化そうと努力している自分への吐き気だった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 翌日は重苦しい雲が低く垂れ込める曇天だった。しかし、ジョアナは足取りも軽く弟と連れ立って家を出た。スコットは物陰からそれを見届けた後、彼女の父を訪問してガスを浴びせた。そして、大急ぎで土手へと向かった。 二人はまだ到着していなかった。スコットは冷や汗でぐっしょり濡れた体を土手に横たえ目を閉じた。 奇跡よ起これ。今度目を開けたら僕はゴンドワナ大陸に居るのだ。今までのことは夢なのだ。 しかし、目をあけたスコットが見たのはさっきまで見えたのと同じ土手の風景だった。 ウォルフが来た。彼はひょろ長い足を一杯に伸ばして走ってくると、スコットの横にずでんと寝転んだ。 「こんにちは！」 「ジョアナは？」 「あ、もうすぐ来るよ。途中でドーナツを買ってる。・・・・ね、ものは相談なんだけど・・・・二ヶ月先に、町の公会堂でダンスパーティーがあるんだ。そこに姉さんと行ってくれないかな。・・・・姉さんさ、そういうの苦手なんだけど、あなたとは気が合ってるみたいだから。・・・・俺もいつまでも姉さんと踊っていたくないし。ね、考えてみて下さいね！」 そして起き上がるとまた走っていった。スコットは怒ったように叫んだ。 僕の目の届くところに居てくれ！」 ウォルフはきょとんとしたが、それをスコットの一種の照れと思ったのか笑って答えた。 「了解！僕は道を隔てて向こう側で昼寝してます！ そして白い車道の反対側の斜面に降りると、本当に昼寝を始めた。 そこまで確認したスコットにジョアナが話しかけた。 「どうしたの？顔が真っ青ですよ。」 そして彼をその場に座らせ、自分も木綿のワンピースの裾をふわっと広げてその隣に座った。 「初めて会ったときから思ってたんです。何か心配事があるんですか？・・・・ごめんなさい。出すぎたことかもしれない。でも、お話を聞くことくらいならできます。もしもよかったら聞かせてください。」 スコットは冷淡に笑った。ジョアナはその中に秘められた“何か”にぞっとしたようだったが話しかけるのをやめなかった。 「何故かはわからないけれど、あなたのことを初対面なんて思えないんです。そんな顔をしていると・・・・胸が痛いんです。」 震える声でスコットは言った。 「僕は他の人間を僕自身の手で不幸にしようとしているんだ。悪いとわかっているのだが、もう、どうしようもないんだ！」 ジョアナははっといきをのんだ。そして、俯いているスコットの頭に手を置いた。 「大丈夫ですよ。スコットさんがこんなに苦しんでいるんですもの。今にどうにかなるわ。きっとその人、不幸にはならない。」 彼はたまらなくなり目頭を押さえた。 ジョアナは途方にくれていたが、自分も泣き出してしまった。 ピ、ピ、ピピ・・・・ 時計のアラームが鳴った。あと３０分でエアカーがやってくる。 「ジョアナ、少し歩こう。」 ジョアナはぎゅっとスコットの手を握った。 「ジョアナ、何も君が泣く事はないんだよ。他人のために泣く事なんかない。自分のためだけに泣けばいい。・・・・君はいい人だ。僕なんかの為に泣いてくれる。画家になんかならなくても君はそれだけで素晴しいんだ。」 ジョアナは目をごしごしとこすった。そして快活に言った。 「タンポポの花摘みをしません？そして花輪を作るの。」 彼女はウォルフも呼んだ。 スコットにとっては好都合だった。タンポポは車道のすぐ際に固まって咲いていた。エアカーがきたら思い切って突き飛ばせば済む。仕事は完了する。 黄色の花輪ができた。 大きなものはウォルフのもの。綺麗なのはジョアナのもの。やや花がまばらなのはスコットのもの。ジョアナはスコットの頭に冠のように花輪をかぶせ、ウォルフは自分の首にかけて子供のように走り回っておどけてみせた。 ・・・・葬式の花輪だ・・・・ 黄色が目に沁みて痛い。 ピ、ピ、ピピ・・・・ ああ、もう時間だ。 「あら？」 ジョアナは車道に目をやった。一株のタンポポが土ぼこりにまみれて道の真ん中にあった。それでもその株は小さな花を懸命に咲かせている。 「私・・・・あれを植え替えなくちゃ。」 ジョアナは自分から車道に出た。 時間とは自分で修復能力を持っているのかもしれない。彼女は絶妙の位置に自ら陣取ったのだ。 スコットはウォルフの背後にまわった。エアカーが来たときに突き飛ばすためだ。 スコットの目に、遠くから高速でやってくるバイクが見えてきた。その後ろからエアカー。ジョアナは株の掘り返しに夢中で気づかない。 スコットは叫びたかった。 （ジョアナ！車だ！） 時代改変が何だというのだ？今なら僕は伯父さんの命と母さんの目を救える。彼らが助かって何の改変が起きる？二人とも良い人間だ。改変が起こっても、今までより悪い状態になるとは思われない。・・・・それに自分はあの二人を愛している！血のつながり・・・・そんなものではなく、人間としての愛情を感じている。そうだ。道徳だ。良心だ！さあ、叫べ！まだ間に合う！ だが、別の人格は非常に冷静に振舞おうとしていた。・・・・結局は感情に振り回されているだけだ。主観に溺れるな。お前は「時」を相手にした大きな仕事にかかわっているのだ。 エアバイクが爆走してきて初めてジョアナは気づいた。バイクは彼女の横を掠めて猛スピードで走り去る。彼女は立ちあがる。そこへエアカーが突っ込んできた。 そうだ。冷静な人格が勝ったのだ。だが、彼はウォルフを突き飛ばさなかった。 「危ない！姉さん！」 言うがはやいか、この健気な弟は自分から飛び出して行って姉を救おうとした。二人の体はエアカー前面で大きく刎ね飛ばされ道で大きくバウンドした。エアカーは大きくオーバーランして止まる。 「うわぁ〜！」 スコットは喚いて二人に駆け寄った。 「ウォルフ！」 抱き起こした伯父の体はぐったりしていた。スコットは呻いた。 「・・・・う・・・・」 ジョアナの小さな声がした。 「ウォルフ・・・・・。スコットさ・・・・」 スコットはジョアナの頭にそっとキスした。 （ごめんなさい、かあさん） そして、ガスを使った。 彼は逃げた。振り返らずに。 マシンのところでは一人の男が待っていた。 「遅れて済まない。大事はなかったか？」 スコットはその足元に崩れた。 「何故！何故もっとはやく来てくれなかったんだ！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ （エピローグ） 1020年に戻ったスコットは、すべての報告業務を終えた後、姿を消した。 彼は万年雪のある山の上に居た。雪の上に体を投げ出し、目を閉じて。 じわじわと体が冷えていくのがわかり、それは今の彼には心地よいことだった。 “凍死？それも悪くない。俺の運命は他でもない俺が決めるんだ。」 彼の頭に様々なイメージが去来した。 父母の顔、森の緑、タンポポの黄色い花輪、ライオンのスケッチブック、カメラを持ったウォルフ、そしてキラキラ輝くジョアナの瞳。それらの幻は“運命だったのだ”と慰めるかと思うと、次の瞬間には彼を呪いなじった。 日が沈んだ。スコットはまだ雪の上にいた。何かが近づき、雪の上にゴト、と何かを置いた。 「スコット。」 彼は父親の声を聞き、重い目を開けた。雪の上に置かれたレーザーホログラム板の上に父母の映像があった。 「スコット、わかるか。私だ。」 父が言った。 「悩まないで。運命だったの。ウォルフが死んだことも。私の目のことも。」 母が言った。 「違います。」 スコットは言った。 「あのとき、僕は助けることができたのにそうしなかった。伯父さんの存在は消え、母さんの夢は破れた。」 母は笑った。 「運命なの。それにね、あの事故で、私は幸せも見つけたわ。」 スコットは目を上げた。 「幸せ？」 母は頷く。 「あの初めに走ってきたエアバイクは時間犯罪者のもの。それを追っていたエアカー、あれを運転していたのは、お父さんだったの。」 スコットは驚いた。伯父を殺し、母から光を奪ったのは、他でもない自分の父だったのだ。父は頷く。 「帰って来なさい。お前はまだこれからなんだ。」 「しかし、父さん・・・・」 「帰って来なさい。そこに居る二人と一緒に。」 スコットは振り向いて二人の人間を見た。 ジョアナとウォルフを！ ジョアナが言った。 「私もテスト生。本当の名前はサリアといいます。私の任務はあなたのお母様の役を演じきること。それが私の試験だったの。・・・・あなたの方がずっと苦しい試験だった。それはあなたが優秀だったからだと聞きました。ごめんなさい。私、苦しんでいるあなたをどうもできなかった。苦しませることが役目だったから。」 ウォルフが続けた。 「僕はジョン。童顔だがこれでも30才の正規パトロール員だ。役目は、君の伯父さんを演じることとサリアと君の監視役だ。・・・・君はタイムトラベルなど全くしなかった。少しばかり薬品の力を借りて君の頭をこねくりまわし、1020年の別の地点に運んだだけだ。僕のほかにも30人ほどの局員が君のことをみていたんだよ。その結果、サリアも君も合格となったわけだ。おめでとう。一週間後、君はゴンドワナに改めて出発だ。」 スコットは低く唸った。 「一応言っておくが、二人の命を救わなかったことが合格基準ではない。もしも君がなんの躊躇いもなく二人をエアカー前に突き飛ばしていたら即刻不合格になっていた。・・・君は人間だ。良識のある。・・・今のままではとても通用しないが鍛えれば立派なパトロール員になる。父上のような、ね。・・・・強要はしない。ここでへばってしまうようなら別の道を歩んだほうが、君にとっても我々にとっても幸せだ。・・・・しかし、個人的には、君が僕の同僚になってくれることを期待するよ。」 ジョンは行った。 サリアはスコットの傍に屈みこんで冷え切った手を両手であたためた。 「ごめんね・・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 一ヵ月後・・・・ ・・・俺はバカだ！ スコットは思った。 ・・・父さんもバカだし、母さんもバカ、だから、一人息子の俺がバカなのは当然といえば当然か！仕方ない、自分の決めた道だからな！いや・・・ 彼は笑った。 ・・・これも運命かもしれない。 見上げれば、古代大陸ゴンドワナの抜けるような青空が広がっていた。 終わり |
同じような筋、同じようなオチの話は数限りなくあるのですが、私も書いてしまいました（笑）。
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